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教育の崩壊
ごまかしのゆとり教育と裁判員制度

>個人の思想信条を封じるための準備段階として政府が行ったのが、さまざまな個人の嗜好にかかわることの規制である。
それまで個人の嗜好の問題だとされてきたことに対して、国家がどこまで踏み込むことができるか、その試みとして、タバコ規制や飲酒規制がある。

もちろんこれは国家の個人への介入という形ではあらわれず、あくまでも健康上の問題や福祉上の問題、または交通事故の撲滅のためという大義名分をともなっているが、その裏に隠されているのは個人の領域への国家権力の侵入である。

裁判員制度もそのように考えると、なぜ唐突にこのような制度が生まれようとしているのかがわかる。
裁判員に任命されると、個人の仕事や自分のしたいことを犠牲にして、彼らは裁判所に出向かなければならない。仕事を休んでまで裁判員としての仕事を命ぜられる。

『司法に国民を参加させる制度を有している国の大部分は、徴兵制を有している』のです。

禁煙と禁酒法

>理想主義というのは強者の論理で、理想を求めるには人間としての強さが必要であることは言うまでもないが、本当に非の打ちどころのない人間がひとりでも存在したことがあるかということを、もう一度よく考えてみる必要がある。極端な理想主義は、それが理想主義であるだけに非の打ち所がなく、文句のつけようがない。悪いことを悪いというのは確かに正しいことではあるが、世の中には悪いことを悪いと知っていても、それをしてしまう人間が必ず存在するのである。いや、正しくは、正しいことだけし続ける人間の方がむしろ例外なのである。

確かに迷惑をかけない社会というものは、理想的な社会ではあろう。
しかし、歴史の中で存在した社会というものは、逆にお互いに迷惑をかけ合うことによって成立していたというのが共同体の真実に近い。日本の農村の『ゆい』とか『もやい』とかいうものは、塩がなかったり、醤油がなかったり、味噌がなかったりしたときに、違いに迷惑をかけ合いながら、それを譲り合う精神を育んできたのであった。

中略

>人間が生きていく以上、必ず息をして二酸化炭素を排出する。つまり空気を汚していくわけである。もし人間が二酸化炭素を出さないようになれば、それは困ったことである。それは死んだということである。もし自分の出す二酸化炭素の存在が許せないという思想にとりつかれれば、人は死ぬしかない。
また現代社会では、車に乗ったことのない人間など存在しない。車の排気ガスは人間の出す二酸化炭素の比ではない。もし車が排気ガスを出すという理由から利用禁止になれば、現代社会は存続できない。
酒を飲んで憂さを晴らせば、必ず誰かが迷惑をする。しかし酒が飲めない社会は困ったものである。

ファシズムはヒトラーをだけのものではない。1920年代のアメリカは酒を飲んだらいけないという法律をつくり出し、社会全体を混乱させた。有名なアメリカの『禁酒法』時代である。その結果、はびこったのはアル・カポネのような暗黒街のギャングである。アメリカ社会はその後遺症に今でも苦しんでいる。アメリカのマフィアである。
酒は現代社会に特徴的なものではない。人間の歴史始まって以来、ずっと飲まれ続けてきたものであって、それは時代と地域を問わない。

中略

>車の排気ガスだけではない。現代社会は、工場排水の垂れ流し、悪臭、煤煙、空気の汚染、騒音ゴミ問題、など数えあげれば、キリがないほどの環境汚染のただ中にある。体に悪いものをすべてなくそうとすれば、真っ先ににしなければならないことは、その様な近代文明の破壊である。
喫煙者が出す煙の量と、近代工場から出る煙の量を食べ、どちらが本当に環境に対して悪影響があるのか。影響の少ないものを禁止するのであれば、それ以上の悪影響の悪者はすべて禁止されなければならないはずである。
女性の化粧の匂いや香水の匂いだって、嫌なときにはとことんイヤなものである。

人間社会の中から危険なものをすべて排除しようとすれば、人は家の中から一歩も外へ出られなくなる。しかしそれでも本当に安全なのかといえば、火事が起こるかもしれないし、地震に襲われるかもしれない。もっとひどい場合、空から飛行機が落ちてくるかもしれない。そのような危険性は人が生きていく上で、無くなることはないのである。

しかも人間は必ずどこかで、息を抜かねば生きられないものである。何時いかなる時も決して息を抜かない人とつきあうことほど、窮屈なことはない。

生きとし生けるものを大切にしようとする思想は、確かに立派な思想である。しかしそれを徹底的に突き詰めた社会というのは、恐ろしいほどに歪んだ社会であった。そのような時代は日本にもあった。徳川綱吉の『生類憐れみの令』である。すべての野犬を大切に扱うことなど不可能なのであり、それと同様にいくら『酒は体に悪い』といっても、必ず酒を飲む人はいるのである。いくらタバコを吸うなといっても、吸う人間は必ずいる。そんなことまで人間を縛ってしまえば、人間は神様になるしかない。恐ろしいまでの性善説である。

いかにも肉食社会の西洋思想が、『イルカを殺すな』『動物愛護だ』と言ったのと似ている。

酒もタバコも、私は一種の文化であると思う。
人間が神様に近づこうとすることと、人間が神様であることとは違う。
人間の最高の知恵は、神様になれない自分の精神的なストレスを、自分で処理する方法を身につけたことであると思う。酒とタバコはそのことと深く関係している。そのことを全く配慮していない健康第一主義は、健康ファシズムである。これほど健康にとって有害な思想はない。社会の健全さは、そんなところにありはしないのである。

法律なのか? 教育基本法改正案

>『教育は、法律の定めるところにより行われる』(第16条)

という今までになかった文言が追加されている。

このような規定を入れたからには、
『法律に定められたことをやればよい』ということであって、

逆に言えばそれは
『法律に定められたこと以外はやらなくてよい』ということにもなる。

そう思うことが正しいかどうかではなく、法律とは本来そういうものだということを言いたいのである。
法律とは一種の契約であり、契約を結んだからには、そこに強制力が働く。しかしその契約に書かれていないことは、法的強制力が働かない。


本当にそれで良いのなら私は何も言わないが、
自民党自身どうもそうは思っていないところが、何ともいい加減なところである。

>現法では、『教員は自己の使命を自覚し』(第6条)となっているところが、
改正では、『教員は自己の崇高な使命を深く自覚し』(第9条)と強められた表現になっており、
このことは教員のさらなる自発的指導を強制しているようにも見える。

しかしそれにもかかわらず、
1.『教員は、全体の奉仕者であって』(第6条)
2.『教育は、国民全体に対し直接に責任を負う』(第10条)という、
教師の使命感の根底を支える条文が削除されているのである。

『理念なくして、強制あり』、『論理なくして、強制あり』である。

こんなことで人が動くのだろうか。
動くとすれば、子供と直接向かい合った人ではなく、どこかもっと上を向いている人たちだけではなかろうか。

中略

>ならば教師の使命感とはどこで養成されるのか。
それは子供との接しあいを通じてである。
そして子供と接するなかで、自らの裁量権を発揮し、結びつきを深めていくなかで、徐々に徐々に、教師としての使命感なるものが養われていくのである。

それを『法律に従え、反対はするな、勝手なことはするな』、
そういうふうに、教師の裁量権が奪われるなかで、
なぜ『教師の使命感』のみが当たり前のごとく育っていくのか、
そこが全くわからない。

教師も人間である。
人間的な心を奪われた人間がどうして、『崇高な使命感』という最も人間的なものを持つことができるのだろうか。

この法律案がまずおかしいのは、
『法律に従え』と法律による教育統制を前面に打ち出しながらしながら、
『崇高な使命感』というおよそ法律的でないものを鼓舞しようとする、
その法律としての整合性の欠如である。

法律で規制するということは、規制されない範囲を「正当化」するという側面をもっています。ですからなんでも法律で規制すれば良いというわけではありません。児童ポルノ法案がなぜ欠陥法案だと言われるのでしょうか?それは「嗜好」というものを規制してしまったがために、この定義に当てはまらないものが「正当化」されてしまい、さらに「子供を救う」内容ではないために、定義にあてはまらない被害を伴った嗜好が「正当化」されているからです。これって本末転倒だと思いませんか?

法律で規制することを推進している国会議員や国民はこのことを肝に銘じておかなければいけません。法律ですべての善悪を判断するのであれば、教育を学んでいる意味がありません。なにか問題がおこれば法律で規制すればいいという思考が正当化した場合、それは民主主義の崩壊を意味することだと言わなければいけなくなるでしょう。



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mudan

Author:mudan
元販売業のはず。なんの知識もなかったはずだが、なぜか店長をまかされるにまで至る。

とある事情があって業界から引退したはずだったが、本業とは別にその後もこっそりと知人の事業に関わったりしているようだ。

最近は冷却期間をおいたこともあって、また業界に返り咲こうと画策している。

野球が好き。

座右の銘は ”思い立ったが吉日”


どうも個人的なサイトではなくなってきたような気がするので、責任感を持たせる為にプロフィールを今までよりも少しだけ情報公開してみました。

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